家で作る杏仁豆腐は中華食材の杏仁パウダーを使う。本当はアーモンドエッセンスでもいいらしいけど、香りはやっぱり杏仁パウダーがおいしそう。でも、最近の中華食材は不安。健康には替えられないしね。
でも、作っていていつも不満なのは、その口当たり。お店の杏仁豆腐はすごくさらりとなめらかなのに、家で作ると、ゼラチンを使うとまったりするし、寒天を使うと逆にしゃきしゃきしてしてしまう。混ぜるといいのかしら・・・。
なかなか満足な杏仁豆腐にならない。

買い物に行ったら、ナイヤガラを売っていたので買いました。ナイヤガラは、薄い黄緑色をしたブドウです。ワインにもなる品種で、香りがとても甘いんです。収穫の時期に、車の窓を開けて運転していると、甘い香りがふわぁ〜って車の中に入ってきて、とても幸せな気持ちになります。
今は冷蔵庫で冷やしているので、明日の朝、食べようっと。

孔子は『論語』の中で「貧乏をひがまないことは難しい」と言っている。昔も今も変わらないんだな。お金がないというだけで、何か自分に欠点があるような気持ちになる。一生懸命、みんなと同じように真面目に働いているのに、少しも余裕ができない。努力が足りないのだろうかとさえ思う。
たぶん、それは正しくないんだろう。努力が足りないのではなく、向ける方向が違うのかもしれないし、真面目にみんなと同じようにするだけでは、裕福になれない社会になっていることもあるだろう。社員も派遣もまったく同じ事をしていても、契約形態が違うだけで賃金に差が出てくる。将来への保証や、人間の信用(たとえば、銀行の融資は派遣だと受け付けてもらえないとか)すら差をつけられる。
努力が足りないというなら、私は何もしてこなかったんだろうか。やるべきことは、違ったんじゃないだろうか。静かな夜に考えてみよう。

仕事の話を家でしても、理解されない。それは自分の説明が悪いのだろうか。状況を言うのに、勝手に想像して、勝手に結論つけて、返答してくる。何度もそうじゃなくて、って言って説明してもやっぱり変わらない。何度か繰り返すうちに嫌になって、どうでもよくなる。
会社員じゃないひとに会社のことを言っても、理解はされないということだろうか。周りの状況を知らない人に、理解を求めるのは無理なのだろうか。
人の話を勝手に自分の知識にあてはめて想像するのはやめよう。大体において、そういうときは「結局」とか、「所詮」とか、いい方向に結論を持って行かない。そういうのは聞いている方が嫌な気分になる。

会社の人が「台風がくる〜」と、子供みたいにわくわくしていました。私の以前はそうだったから、気持ちはわかります。ただ大人になって気づいたことは、そのわくわくの根底には「自分の家は大丈夫(風に飛ばされず、浸水もされず、崩れる崖もない)」ということがあるからです。
最近の自然災害を見ていると、とてもわくわくした気持ちにはなれず、不謹慎に感じます。今回の台風でも、どうか被害がありませんように。

会社にあるカップの自販に、はちみつレモンがある。20年くらいまえだろうか、流行ったのは。確か、サントリーから発売されて人気が出て、商標登録しなかったから同じ名前で、他のメーカーも売り出したんだったかな。
当時は著作権とか、知的財産なんて知らないから、どうして同じ名前なんだろう、逆に他のものはどうして似通っているけど一言一句一緒ではないんだろうって思っていた。サントリーの思惑はどうだかしらないけど、時間がたってもその「はちみつレモン」という名前を覚えているのは、やっぱり名と実が一致していて、シンプルだからだと思う。
会社で飲むときは主にホット。どこかなつかしく、あたたかい気持ちになれる。

夏の頃は部屋の温度が高く、花瓶の花もすぐぐったりしてしまう。頂き物のグラジオラス、とってもきれいだったのに、1週間もたなかった。構造的に葉っぱが花瓶の水に浸かってしまうから、葉が溶けてすぐに水か濁ってしまう。つぎつぎにつぼみが咲いて嬉しかったのに、残念。