ひと月

気づけば、前回の記入からひと月。その間、残業で帰宅が遅くなるようになり、帰宅後の試験勉強はやめた。かわりに朝4時に起きて2時間弱を勉強時間にあてた。

試験は先週の土曜日、11月13日。多分今回はダメなんだと思う。選択式問題は多分合格ラインだろうけど、記述が・・・。知識を問う箇所はまったくわからず空白があったし、応用力を問う箇所は時間がたりなくて問題の半分が手付かず。

だけど、試験勉強や試験を通して得たものもあった。一番大きいのは自分のやってきた仕事が全体のなかでどういう位置付けだったのかということ。「今更かよ」って思うけど。でも派遣先の会社も人もそういう体系だった思想や位置付けで仕事してなかったから、業務に関する意識が根っこのところで宙に浮いていたんだと思う。

あとは定性的なことを定量化する方法がいくつもあって、ちゃんと方法を選ぶことでふんわりした意見が説得力のある、より多くの人が納得できる内容になるってわかったこと。人様の英知を知るって大切だね。

試験結果は来年1月なんだけどダメだろうし、来年再挑戦するかはちょっと思案中。試験を受けてみて勉強の仕方とか問題の考え方は間違ってなさそうってわかったし、知識レベルの底上げは可能(要するに記憶してなかった箇所があるから)なので、がんばってもいいかなとは思っている。でも逆に1年間このままの勉強を続けると気持ちがダレてしまうから、一旦はここで終了。半年後くらいから再開すればいいかな。

もっと早くに気付いて資格をとるべく動いていればよかったと思う。そういう後悔はいつもある。だけど年齢は遡れないからね。後悔しつついまを肯定するんだよ。さて、気づけば5時半。あと少しで朝の準備を始める時間だ。今日も仕事でパニックになりストレスフルな1日になるんだろうな。仕事は辞めたい。派遣だから12月いっぱいの契約を更新しなくてもよかった。だけど3ヶ月で辞めてしまうと、逃げた自分自身に対してダメなレッテルを貼ってしまうこと、3ヶ月間いろいろ教えてくれた人たちに申し訳ないことを思って来年3月まで契約を更新した。その頃には少しは仕事の全体像が見えて、動けるようになるんだろうか。そうしたら仕事を続けようと思うだろうか。いや、契約更新したくない理由はそれだけじゃないか。会社生活のいろいろが合わないんだから、根本的に会社が合ってないんだった・・・。ちょっと重いなぁ。。。

窓がかたかた鳴る

昨日までの気温の高さから一転、今日は20度にも満たない気温。昨日のうちに遅い衣替えをしておいた。

いつも衣替えのタイミングで衣類の更新をする。もう着られないものはさようなら。

思っているより「いつか」のための衣類が多い。そんな「いつか」がくる可能性はもうないとわかったものと、もうこないだろうと思うものに分かれる。

齢を重ねると「いつか」は徐々に減っていく。逆に不可避な「いつか」に向かって収束していく。手持ちの「いつか」の衣類は「いま」着てしまおう。気持ち良く着られるものを着て、気持ち良くいよう。幸い私のもっている「いつか」の衣類は装飾の少ない、シンプルなものがほとんどだ。普段遣いにしても違和感はないだろう。

障子と襖に区切られ、障子の向こうの窓が時折鳴る。外は少し寒い風。今年の終わりの季節に向かっている。

昨日はダメだったな、と落ち着いて振り返る

昨日は仕事で失敗した。正確には失敗ではないかもしれないけど(週明けに予想外の失敗をやらかしてたらどうしよう、マジ)、自分の中では失敗したと思っている。

それは感情をのせた一言を発してしまったということ。

 

終業時間15分前に、遅れていた作業起点が送られてきた。この起点がくると、「一刻も早く」作業を展開しなければいけない。自分にとっては初めての本番仕事になる。練習は1、2回した。時間を見つけて作業の振り返りもした。でも、練習時より作業量が多くなるパターンのものが送られてきた。

そうなると軽くパニック。書類を見比べ、多くの箇所にマーキングする。マーキングは思うようにつかないし、手元が狂ったために不要なアプリは起動するし、時間は気になるし、思わず、

「なんでこんなに(たくさんのマーキング箇所が)あるんだよぉ・・・」

言葉にしていた。拗ねるような、情けなくなるような、そんな口調だった。発してから愕然とした(作業は続けてながらだけど)。自分はいま何をやった? 仕事中、なんて声を出したんだ。何を甘えているんだ。これだからオバさんは・・・。

 

一連の作業を監督してもらいつつ終わらせて、後に残ったのは先ほどの自分の言葉だけだった。発した内容は仕方がないとして、口調が自分でも嫌だった。もし仕事仲間がそんな状態だったら、自分なら嫌気がさす。何を甘えているんだろうと。

そう。甘えていたのだ。「初めての本番なのに、作業量の多くなるパターンで、自分は時間を気にしながら作業しているんだ」と監督者に対してアピールしていたのだ、無意識に。

気をつけよう。感情の甘えは許さない。そんな感情をもたないよう作業を見直そう。それでもパニックになるときはとにかく落ち着こう。そもそも一刻も早くと言っても生死に関わることじゃない。手を動かせばちゃんと終わる。だからまず落ち着こう。

人プラットフォーム

以前勤めていたN社は、既存の個別社内システムが乱立し、それを連携させるためにプラットフォームシステムを作って、無理矢理データを流していた。当然、ばらばらの仕様で動くシステムを繋ぐわけだから、運用でカバーがやたら多く、各システム利用者からのヘルプがよくきた。

今勤めているM社は、各部署で個別ドキュメントが乱立し(必要に応じて作成とも言う)、最終報告書を作成するときに各ドキュメントからデータを流すプラットフォームを人力で対応している。当然、ばらばらの箇所に置かれてるドキュメントを探し、作られていなければ無駄足か催促をし、時によっては相手がドキュメントを作りやすいようにフォーマットを用意する。

N社もひどいと思ったが、M社はどうなんだろう。プラットフォームになっている人が、自分ができるからと何でも引き受けてしまい、常に仕事を抱えている状態。

社内で効率化を進めましょうといっているが、一部の作業をマクロとかで自動化するレベルの話じゃないんじゃなかろうか。作業の切り分けとか、そもそもの報告書のフォーマット(100ページ近いパワポってどうなの)とか、もっと大きなワークフローから見ないと駄目なんじゃないのかな。

ひとりはダメな人?

朝、4時過ぎに起きて勉強。ティーポットとカップ、数枚のビスケットを用意して。

まだ外は暗くて、時々自動車の通る音がして。そのうち、ほの明るくなり、鳥の声が聞こえ出す。

自分しかいない部屋で、机に向かい、新しい知識にふれる。時間も空気も穏やかで、こんな時間が好きだと思う。

けれど、成功者は言う。同じように志の高い仲間と交流し、共にあることが成功の秘訣だと。

人といると疲れてしまう。それを見せないようにして、さらに疲れる。だから一人でいたいと思う。

そういう人は、成功しないということになるのか。人といることが嫌いではないのに、ただしんどくなる。気持ちが揺れることがしんどい。

派遣先の最終出社日

「どこかで見かけたら声をかけてくださいね」
「どこかで見かけたら声をかけますね」

ほんの少しの言い回しの違いなのに、このどうしようもない”距離感”はグミのような硬さで相手との間に立ちふさがる。

そう気付いたことは自分にとって悪いことではないのだろう。昨日、口頭で、メールで、チャットで、何度も使った言葉ーどこかで見かけたら声をかけますね

これまで多くの場面で私は「どこかで見かけたら声をかけてくださいね」と使ってきた。相手に対して”私は心を開いていますよ”との表示だったが、本当にそうだろうか。

相手にアクションを委ねているが、結局は自分から交流を持とうとしていない。つまり自分にとって交流は必要としていないということになる。あれれ? なんか上からだよね、これ。

だけど、そう気付いたのは「声をかけますね」と言った後だった。特に意識せず使っていたから。言い回しが変わったのは、自分が周りの人たちをちゃんと認識していたからだと思う。いいところもよくないところも認識していた。そのうえで自分の立場でモノを言ってきたと思う。

相手を伺うだけの「声をかけてくださいね」から、自分から歩み寄る「声をかけますね」への変化があった。

少なくともこの派遣先で成長したのかな。だから「声をかけますね」と言えたのかもしれない。同じようなことを何度も繰り返す仕事を3年続けた。客観的なスキルは上がらなかったけど、人や文章から伝わる情報の分析は向上したのだと思う。次の派遣先でも活かすかどうかは、自分次第だ。

ワクチン接種(1回目)

1回目のワクチン接種だった。

住所地外での接種なので個別接種。それはいいんだけど、予約・前日確認の時に言われた持ち物が、接種のための来院時の持ち物と一致していないんですがー!

まぁ、リカバリのできるものだったので結果としては接種して貰えましたけど・・・。

 

今日は身体が不調にならないように(動物性の)タンパク質とビタミンを取って早く寝よう。

 

追記(2021/09/22):発熱、倦怠感等はないけど、注射を打った腕が痛い。該当する筋肉を使うと痛い、というか。つまり特に問題はなくて、多くの人と同じ状態。